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2018
08.23

太陽の家

Category: その他
大分県別府市の亀川に「太陽の家」があります
昭和40年に設立されましたので、物心ついた時にはその名前は知っていました
が、ただ知っていただけでうわべだけですね
身体障害者の施設としてだけ~という事でした

NHKでその設立に関わった「中村裕博士」の事ドラマにされていました
その昔は市民として過ごした場所には、世界に向けて発信していた
貴重な存在があったこと改めて知らされました

太陽の家には麦と太陽をデザインした「太陽の家」のマークがかかげられています
その下につぎのことばがそえられています
『麦にはきびしさがあります。麦は踏まれても踏まれてもぐんぐん成長します
太陽に向かってのびつづける麦の形には、団結を意味するものがあります
これは、「太陽の家」のシンボルです。
ジャパン・サン・インダストリーズは、諸外国のかたがたと交わりのための名です
これを機会に、全国に「太陽の家」の種がまかれ、発展していくことを祈ります』

設立に力を注いだのは中村裕博士
整形外科医の中村裕博士は研修先のイギリスで、スポーツを取り入れた障害者医療を学び
その時に出会った言葉が、その後の彼の人生の原動力になりました

「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」

帰国した中村博士は、障害者スポーツを何とか広めようとするが・・・
日本はリハビリという言葉すらなかった時代、「見せ物にしないでほしい」と抵抗にあいます
当時は、障害者は家の中だけで過ごすことが常識、隠れた存在の扱いでした
しかし、ある少年との出会いをきっかけに
車いすバスケットボールを少しずつ普及させていったのです
のちに青年となり太陽の家にて仕事をし、国へ一人の成人として『税金』を払うまでにも
そして伴侶を得て、障害者もごく普通に結婚し家庭を持つ事を実現させてくれたくれた一人です

1964年の東京パラリンピックにも尽力注ぎ、次には太陽の家への共同出資会社を探し
大手の企業からの支援も得て太陽の家は認められる存在になりました
57歳で亡くなられた博士が、2020年の東京パラリンピックを見られたら
どんな言葉を言われるのでしょう
ここまで地道に積み重ね、多くの人からも支えられ選手たちが競技に励む姿
太陽のように見続けてくださるのでは~

「太陽を愛した男」・・・再放送がありましたら是非見て欲しいです




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